
クリエイションを可能にするファイナンス・システムとはー ANRI・中路隼輔さん
── 11月21日(金)、渋谷QWSで開催する1dayカンファレンス「Towards Creative Entrepreneurship ークリエイティブ領域における社会実装の可能性と、その方法論を問う」。今回は、その第3部「社会変革を見据えた、新たなクリエイティブ・エコシステムを考える」に登壇されるベンチャーキャピタル・ANRIの中路隼輔さんにお話を伺います。
中路 隼輔 ANRI株式会社 シニアプリンシパル
1991年、香川県生まれ。ANRIシニアプリンシパル、『FASTFORWARD』編集長、ANRI人文奨学金担当。早稲田大学在学時からスタートアップに関わり、新卒でGoogle Japanに入社。その後、LUXA、DCM venturesを経て、2018年からANRIに参画。シードラウンド中心に投資業務に携わる。不確実性が一番高いラウンドで、大きな変化をもたらせる企業への投資を挑戦中。
経済の高血圧と低血圧の間で
森原中路さんはクリエイションを可能にするため、ファイナンスシステムはどのような姿であるべきだと考えていますか?
中路ずっと課題意識を持っているのが、今の社会には資本コストの選択肢が「低血圧の銀行」と「高血圧のVC」しかないということです。つまり、銀行のみだとゆっくりとした成長でも大丈夫という話が、VCからすると「1年で30%、あるいは50%以上成長してね」という要求になる。資本を提供する側のスタンスに幅がないことが、プレイヤーの多様性、クリエイションの幅を妨げている側面があるんじゃないかと思っています。
森原 つまり、投機性と安定性、その中間に位置するようなアントレプレナーシップやクリエイティビティを持った人が何かを始めようとすると、銀行かVCかの二択では限界があるということですね。
中路その一つの解決策として期待されていたのがWeb3.0だったと思います。 仕組みとしては美しいと思いますし、ファイナンスシステムの領域ではすでに実装が進んでいます。ただ、アプリケーションレイヤーのレベルでうまく活用されているかというと、今はほとんど使われなくなってしまったというのが現状です。 ラブブやポケモンカードなんかと同じで、需給が生まれ、自由に売買できるようになった瞬間、価格が暴落したり暴騰したりしてしまう。つまり、経済価値に組み込まれたダンピングだけのゲームになってしまうんですね。 でもそんな今だからこそ、そもそも自分たちは何をしたかったんだっけという原点を、もう一度議論することは意義があると思います。
森原歴史的に見ても、クリエイションは常に資金力のある、資本家やパトロンの支援によって成り立ってきた側面があります。たとえば今では当たり前になったクラウドファンディングも、応援の色が強いものもありますが、リターンを求めてお金を出すことの方が多いですよね。
中路今の社会は資本主義が強すぎて、すべてがどんなリターンがあるかという議論に収斂してしまっている気もしますね。だからこそ、もう少し、人間にとって何が嬉しいのかという観点に立ち戻って議論し直してもいいと思うんです。 僕が人文奨学金を始めたのも、人間は経済合理性だけで動くわけではないよねという問題意識が発端でした。例えばNOT A HOTELのような事例は、もちろん経済合理性もありますが、それを超えて「欲しい」と思わせる感情が根底にあるはずです。 僕自身、資本主義が悪いとは思っていません。むしろ好きだし、うまく使うべきだと思っている一方で、それだけでは社会が"カサカサ"になってしまうという感覚もどこかにある。資本主義と人間らしさのバランス、それをどう配合できるのかということは常日頃考えています。
説明責任がクリエイションをつまらなくする
森原良いクリエイションを生み出すには、内側に矢印を向ける時期も必要だと感じます。つまり、「リターンを得なきゃ」とか、「説明しなきゃ」とか考えるほど、少しずつ矢印が外側に向いていって、クリエイションがどんどん凡庸なものになってしまう。
中路結局、説明責任というものがクリエイションを面白くなくしていく部分はあると思います。説明を求める側のVCがそれを言うのも変な話ですが(笑)。 ひとつの例として、六本木ヒルズの最上階に美術館をつくった森ビルの判断は象徴的ですよね。普通なら一番上はホテルにでもして高額な料金を取れば大きな利益が出るはずなのに、そこを文化の拠点にした。 あれは非上場のオーナー企業だからこそできた意思決定だと思いますが、結果的に人を惹きつけ、エリア全体の経済性も高めている。そういう意味でも、建築や都市という分野は本当に面白いなと思います。目的があるようでない感じがあって、どこか哲学的でもある。 もっとお金持ちがタワーマンションに住むのではなく、こだわり抜いた建築を建てて住む、そのくらいしてくれたらいいのになといつも思いますね。 もちろん資産性を考えればタワマンを買う方が合理的です。それでもなお建築を建てようとする時に最後に行き着くのは、個人の美学の問題なんだと思います。こうするのがかっこいい、という心の内から湧き出てくる感覚とでも言えるかもしれませんね。
森原 そういったオーナーシップ的な意思決定や美学という要素を、どのようにエコシステムとして確立していけると考えていますか。
中路まだ明確な形は見えていませんが、美学のマッチングというものはひとつの方向性になり得ると思っています。つまり「これがかっこいいよね」と共感する人たちがつながり、その賛同者によって成り立つシステム。ある意味で、不特定多数に頑張って説明することを求めるシステムよりも健全と言えるかもしれなません。 今の社会を見渡しても、全員が豊かになるわけではないけど、極端に豊かになる人が増えていく時代の中にいる感覚があります。そうした一部の豊かな人たちの美意識が変わることが、これからの社会全体を変える上での一つのキーになると思います。彼ら彼女らがお金をなんとなく消費をしたり、投資で増やしたりするのではなく、未来の文化のあり方や美意識に対してアプローチをしていくために使ったり、行動に変えていく。そこには、北大路魯山人や松岡正剛、千利休なんかに通じる感覚があるのかもしれません。 結局のところ、VCというのはお金持ちを増やす仕事なんだと思います。だからこそ、今後生まれてくる豊かな人がどんな価値観を持つかということにはすごく興味があります。 ANRI書店で雑誌を作ったのも、そういったこれから生まれる「新たな富裕層の、新たな美学」を発信したいという思いが背景にあります。
「よくわからなさ」を信じるための人文知とは
森原 現行の経済の仕組みの中では、クリエイターは短い期間での成果を求められがちです。一方で、建築や都市のように10年なんかで変わらないのは当たり前という分野もある。このようなシステムの生む時間的なギャップをどう捉えていますか?
中路VCというのは本来、そうした異なる時間スケールの間をつなぐ存在なんだと思います。時間をお金で買う、つまりVCを使わなければ長い時間がかかっていたステップを短縮し、上場やM&Aといった次の段階へと導く役割ですね。 ただ、そこにクリエイションの視点を持ち込むと、まったく違う答えになる気もしています。 僕がシードVCにこだわっている理由もそこにあって「成功しそうなもののスピードを上げる」というよりは、よくわからない領域に対して、いわばバイアスまみれで資金を出すという行為そのものに意味を感じているんです。 数字や伸び率をもとに判断することは、AIでもできる、むしろAIの方がうまくできると思うんです。 でも「なんかわからないけど1億、2億でこれをやってみたいんすよ」というときに、それを信じて決断するのは人間にしかできない。そこに本当に1億を出してしまうのは、ある種の間違いかもしれませんが、そうした間違いを許容できるのは、結局は人間同士の関係性のなかにある信頼だと思います。 私たちが次に考えるべきは、その「よくわからなさ」をどう言語化し、理解の輪を広げていくかというプロセスです。そのための羅針盤となるのが、世の中を構造的に捉え、意味づけを行う人文学的な知なのではないでしょうか。トークイベント当日でも、このクリエイション、ファイナンス、そしてそれを支えるアカデミアの関係性について、ぜひ皆様と議論したいと思います。